年を取ってくると、人間は「昔はこんなにひどくなかった」とか「俺の若い頃はもっとちゃんとしてた」とか「今の若い人には一般常識が通じない」とか言うものです。
でも僕は、こういう言説を聞くたびに、ハアそうですねと頷きつつ、あんまり信じていません。
人間の歴史のサイクルには、いくつか特徴的なパターンがあります。
進化と、退廃と、繰り返し、です。
このうち、退廃というのは、シュペングラーが書いている文化の爛熟→退廃というあのサイクルです。
ただこの退廃という流れも、大きな視点で見ると「繰り返し」でもあります。退廃して、また文化が復興して、また退廃して、の繰り返しですね。
また「繰り返し」という現象自体は、そうした大きな視点ではなくとも、人間の世代単位で見た場合も確かに存在するように思われます。
それも考えてみれば当然で、人間誰しも赤ちゃんとして生まれ、子供として育てられ、大人として社会にもまれ、老人になって死んでいきます。ものの見方や考え方もまた、そうした人生のサイクルが少なからず土台になっているでしょうからね。
だから僕は、今30代半ばにさしかかろうとする年齢ですが、例えば自転車の乗り方のマナーがなっていなかったり、電車内で好き放題にしたりしている高校生などを、ひとくくりにして非難する気にはなれなかったりします(個別に注意するかどうかはさておき)。だって絶対確実に、自分だってあれくらいの年齢の頃は、似たようなもんだったと思いますから。
あとお年寄りも、あんまり邪険にする気にはなれません。これも絶対確実に、いつか自分も同じようになるでしょうし。
だから、年配の人の「俺の若い頃は」みたいなのはかなり眉唾です。
では「進化」についてはどうでしょう。
これについては、歴史哲学においては若干分が悪いところがあります。少なくとも、コントのような単純素朴な進歩思想を受け入れる人は今はあんまりおりますまい。
……とは思うのですが、それでも現在の人間の世界は、昔に比べれば遥かに生活しやすく快適になっています。それは否定できないと思うんです。
その証拠のひとつと言えるのが、この本です。
日本の数々の古典文学の読み解きを通して、昔の日本が「本当はひどかった」ことを明らかにしていく、極めて衝撃的な本です。
まあ読んでみて下さい。捨て子、貧困ビジネス、虐待、介護地獄、ブラック企業、昔々にもあった「尼崎事件」、ストーカー、キレやすく残虐な若者――。これ全部、大昔からあったんだなーとびっくりすること請け合い。
古典文学に登場するこうした数々の事例を読んでいると、なんかもう、驚きを通り越して変な安心感が湧いてきます。なんだ、昔の人たちも今の自分たちと全然変わらないじゃないか、それでもこの大昔に比べれば遥かに今はマシだな――と感じます。
もちろん、現代も、世界全体を見ればたくさんの問題があります。紛争、貧困、地球環境の悪化、高齢化、などなど。
しかしそれにしても、人間は昔から戦争や病気や紛争などを乗り越えて、今のような時代を作り上げてきたわけです。現在、人間が直面している難題を乗り越えることができれば、さらに人間は幸せになれるのではないか。今よりは、より多くの人が幸せになれる世界が作れるのではないか。僕などはそう考えています。
少なくとも、上に掲げた問題群をなんとか解決しようとしている人たちは、そういう近未来を思い描きながら活動しているはずです。
本当にそういう「人間世界がもっとよくなる」流れがあるとすれば、これは進化・進歩と言っても差し支えないと思うんですけどね。どうでしょう。
今回ご紹介した本は、そんな、人間と社会の成熟・発展について考えさせてくれました。