2014年3月30日日曜日

◆『ミスミソウ』


 金曜の夜に『ミスミソウ』を読んでから気分的に落ち込んでいます。

 まあホラーですから、残酷描写も誇張されて描かれているところはあるんでしょうし、全体的には「ありえない話」ですけど(個々の事件は現実にも起こりそうですが)、決して後味のいいお話ではないです。

 でもなにげに、構成がきちんと考えられています。上巻はひたすら理不尽で狂気に満ちていますが、下巻になるとその背景が説明されているので(若干、辻褄の合わない印象を受ける部分もあったけど)ただ怖いだけのホラー、で終わらずにひとつの悲劇としてまとまっています。

 僕などはこのお話に、『バトル・ロワイアル』に通じるような青春の純粋さ、暴力性、悲劇性などの表現を感じました。

 作者も意図してか否か、雪深い北海道の過疎の町を舞台にしているのは秀逸ですね。滅びるのを待っている生活世界と、全てを真っ白に覆い尽くす雪。全てが子供時代・青春時代の崩壊と浄化をイメージさせてくれます。

 雪の中から顔を出すミスミソウと、その後にやってくる春。だけど子供たちはもうそこにはおらず、残されたのは老人だけです。崩壊した純粋な子供時代はもう、戻ってきません。

 そんな風にイメージしてみると、バトロワよりも『スタンド・バイ・ミー』に似ている感じがするかも。

 それにしても、作者の押切蓮介は「目」に何か執着があるのでしょうか。なぜ上巻下巻に渡って、これほどまでに「目潰し」の描写が多くあるのか、それが気になります。

 青春時代・子供時代というものを見る/見られるの構図で考えてみると、攻撃によって目を潰すというのは2つの意味が考えられます。

 ひとつは、「見られる」ことの拒絶です。子供たちは、他人の視線に晒されることでその純粋さを失います。彼らは基本的に家族や仲間との世界、自分の足で行ける狭い世界に生きているからです。だからその世界を保ちたいのであれば、見られることの拒否、というのがどうしても必要になる。

 もうひとつは、純粋なものは目を潰すものだ、ということです。太陽の光は直視すれば目をやられるわけで、子供の純粋でまっすぐ、そしてそれだけに暴力的な生態というのは、直視すれば目を焼かれるような眩しさがあります。

 ミスミソウにおいては、目を潰す者も潰される者も子供です。ですから今挙げた2つの意味は、登場人物の子供たちひとりひとりに二重性を持って当てはまってきます。

 こんな風に考えると少しは気持ちも楽になるかな。暴力だけのホラーではなく、青春漫画でもあるミスミソウ。刺激の欲しい方におすすめの漫画です。