2014年3月29日土曜日

◆なのかなと思っておるところでございます

 時と場合によっては好きな言葉に、「~と思う」というのがあります。

 これ、批評や意見文の中で多用されたらちょっと引きますけどね。自信が持てるほどのデータが集まってないんじゃないか、もっとしっかりやってはっきり言えよ、と突っ込みたくなります。

 あと公の場でよく使われる言い方で「●●なのかな、と思っておる、ところでございます」というのがありますが、いい加減にしてほしいもの。「主観的な推測で今たまたまそう考えています」と言っているんですよね、これ。

 まあ控え目なのは良いと言えば良いのですが、そこまで謙遜されると聞く価値もないんじゃないのかと言われても仕方ないわけで。無責任な思いつきを口にするなよー、と思ってしまう。

 で、僕はどういう場合に「~と思う」という言い方が好きなのかというと、仮説が、客観的に、かつ積極性を持って提出されている場合です。有り体に言えば「正直な心情が述べられている場合」。

 いえ、昨日ブログを更新した後でずっと考えていたのです。無実かも知れない人が収監されて死刑台送りにされようとしている現状が日本にはあって、でも僕らの中には「物的証拠はないけど実質クロ」を是とする気持ちがある。この曖昧な状況を少しずつでも改善することはできないのかな、と。

 これはまあ、お上がルールを変革して上から意識改革を行なうか、僕ら一般庶民が「話し合う」ことで下からじわじわと考え方を変えていくしかないんでしょうけどね。

 で、後者の「話し合う」というやり方では、僕らがどことなく普段からタブー視している(と思われる)「物的証拠はないけど実質クロだろう」という心情を、打ち明けあっていくところからスタートすることになるのでしょう。

 これは、原則に照らし合わせる以上、正しい捉え方ではないとみんな分かってはいるはずです。いわばその心情は自分の中の悪徳であり、このことを考えるときに少しでも胸にチラッと自分の悪徳についてよぎらない人がいるのでしょうか。罪悪感とまではいかなくとも、違和感くらいはあるのではないでしょうか。

 だから言葉にしにくい。自分の嫌な部分や恥ずかしい部分、間違っている部分はなかなか口にできないものです。

 でもタブーについて話し合うこと、語り合うことは、このことに限らず必要になることがあるわけで。

 そういう時に、「~と思う」が有効になると思うのです。

 自らの心情を吐露するのは難しいことです。だけど言葉の後ろに積極的に「~と思う」でもいいし「~なのかなと思っておるところでございます」とつけてしまうと、その心情や意見はたちまち客観性を持ってきます。

 心情を吐露すると言っても、ズケズケものを言うとか、空気を読まずに発言するとか、そういうのともちょっと違います。そういうのは客観性も何もなく口をついて出る言葉ですが、「~と思う」と語尾につけることで、言葉はいくらかでも整理されます。ただ言い放たれるのではなく「提出」される形になるのです。これはつまり、「正直」「誠実」な言葉づかいだと言えます。

 そして正直な言葉というのは、伝わるものです。

 そういう意図で用いられる「~と思う」という言葉は、好きです。

 なんか昨今はディベートだのプレゼンテーションだの、とかくそういうのがちゃんとできるスキルが重視されています。もちろんそれも大事なんでしょうけど、日本には日本の議論の仕方というのがあるわけで。「話し合い」とか「打ち合わせ」とか「稟議」など、独特のニュアンスを含むやり方、こういうのを握りつぶすこともできませんし、一部の人が素晴らしいディベート能力とかプレゼンテーション能力とかを身につけても、多くの場所ではそういう日本的なやり方の方がまだまだ幅を利かせていることでしょう。

 日本人は日本人なりに、「思い」を伝えるやり方を知っています。まずはそういうところから、正直な心情というものを掘り起こして話し合っていくしかないんじゃないか、と思う、んです。