2013年12月28日土曜日

◆12月は酒が呑めるぞ

 一度歌ってみたかった、替え歌があります。

  12月は離婚して酒が呑めるぞー♪
  酒が呑める呑めるぞー
  酒が呑めるぞー♪

 というわけで、きのう離婚しました。

 手続きや話を進めていく中で、特にもめることもなかったのですが、とにかく完了してせいせいしました。

 友人知人の皆さんにはご心配おかけしました。もう大丈夫です。

 次があるなら、今度こそはもっと幸せになりたいもんです。

 人生を少し変えたいなあと思う今日この頃。

 ところで、冒頭に掲げた「酒が呑めるぞー」の歌は、脳内で替え歌を作るのが好きです。

「●月は●●で酒が呑めるぞ」という言葉の並びで、●のところに何かの言葉を入れれば、なんでも茶化すことができますからね。

 ただ、この替え歌を作るのがなぜ「脳内」かというと、大抵の場合、不謹慎なネタで思いつくことが多いからです。

 今回の「離婚して」というのも、ある意味不謹慎ですね。

 まあ自分で自分のことをネタにしていますし、一生のうちそう何度もネタにできるもんでもないので、折角だから書いてみたのです。

 でもこれが他人のことだったら、とても歌えません。

 たぶん僕の中には、ものすごーく「真面目」な部分と、こういう不謹慎な笑いを好む「不真面目」な部分とが同居しているんです。

 思い出してみると、昔からそうでした。

 お葬式で笑わずにはいられないという性質の人がたまにいます。僕はそこまで行かないけど、似ているのかも知れません。

 どんなに深刻な状況でも、一歩後退して見てみると、いろんな見方ができます。ある種の笑いもそうやって生じるものです。

 ただ「不謹慎な笑い」については、状況から一歩後退しつつも完全に客観視するわけでもない、微妙な位置で生じます。

 例えばお葬式という状況にきちんと身を置いている人は、笑えません。あとその状況を、私見を交えずに客観的に見ている人も、笑いません。不謹慎な笑い方ができる人は、その中間にいます。

 こういう笑いは、いわゆる「茶化す」というタイプのものだと思うのですが、さてベルグソンや梅原先生はこれについて何か書いていたかどうか。年末年始はこれを調べてみようかな。無事に離婚したことだし。