2013年11月8日金曜日

◆エロティシズムな思い出


 こういうケヤキが、天童市にあるのです。

 近頃、歌舞伎のことを調べたり考えたりする機会が増えました。

 それで、坂東玉三郎の女形の姿などを見ていると思い出すことがあります。

 女形の演技って、まあ女装なわけですが、大学の何かのイベントのときに、ゼミの仲間が女装をしまして。

 なんで女装をしたのか、その経緯ははっきり覚えていないんですけどね。とにかく仲間内で一人、女装がとてもよく似合うのがいて、その彼が女装したわけです。

 で、イベントが終わって、皆でゼミの教場に戻りまして。

 みんな、普通におしゃべりしてました。けっこう大人数のゼミなので、教場の中はワイワイガヤガヤです。

 で、その中で、それまで女装していた彼が、何気なく着替えを始めたんですね。

 その時です!

 みんなの視線が、彼の方に一気に集中しました。

 それまでおしゃべりしていた全員が急に口を閉じて、示し合わせたわけでもないのにフッと、そちらを見たのです。

 それもチラッと見たというレベルではなく、「じっ」と。

 まるで教場全体に何かの力が働いたかのように、全員が同時に黙り、動きを止め、目線が彼の着替えに注ぎ込まれたんですね(ちなみに教場にいたのは全員男でした)。

 ほんの2、3秒で、着替えをしていた彼はその目線に気付きました。そりゃそうです、それまで皆しゃべっていたのに、急にシーンとなったのですから。

 そこで彼はひとこと。
「な、なんか身の危険を感じる」

 と言って教場を出て行き、別の場所で着替えを行ないました。

 それだけの話です。

 それだけの話なのですが、あの時のことは今も忘れられません。

 その場には僕もいたのですが、僕もその、急に黙り込んで目線をそちらに「じっ」と向けた人間のひとりでした。

 今思い出しても、あの時の教場の空気はなんだかとても不思議でした。

 本物の女性なのか、それとも女装の着替えなのか、そういうのはあまり関係ないんですね。

「女性的なもの」がそこで服を脱いで、何かをしようとしている。それだけで男というのは、無意識のうちに目線がフッとそちらを向き、じっと注視ししてしまうもののようです。

 これは助平心がどうのとか、そういう話ではなくて。

 むしろこの、無意識に目線が向く心の作用が根底にあって、助平心だとか、女性の身体に対する具体的なイメージなどはその後で湧いてくるものなのだと思います。

 その「心の作用」こそがエロティシズムなのかなと。日本語でなんて言えばいいんでしょうね? 性的なものをも包括した人間の心の動きです。

 でも一方で、世の中には男と女しかいない、というのもひとつの真理です。

 そりゃまあ、女装だとか男装だとか、中性的だとかユニセックスだとか性同一障害だとか、いろいろあるかも知れませんが、それだって根本的には人間の男女の性の違い、が前提にあるから言えるわけで。

 エロティシズムは男女の性を媒介にしないとなかなか顕現しないけれど、性を包括するものとしても存在するのではないかと思うわけです。

 どうでもいい話をするつもりが、少し堅苦しい言葉遣いになっちゃいました……。