2013年10月5日土曜日

◆色川武大『生家へ』読了


 すンごい朝焼け。9月30日の朝5時半頃、ほんの10分くらいだけ出現したものです。


 色川武大の『生家へ』を読了しました。

 正直、『生家へ』という作品全体は、現実と妄想と虚実が入り交じった、悪夢のような幻覚のような作品で僕にはちょっとつらかったかな。

 もちろんそれは『怪しい来客簿』にも通じる、色川作品の味ではありますが。

 ただ僕はこの人のシンプルな「自分語り」が好きなので、物語全体から、作者の現実的な実相が正直に語られていそうな箇所を拾いながら読んだ感じになりました。

 それよりも嬉しかったのは、色川のデビュー作『黒い布』が巻末に収められていたことです。読みたかったけど、今までどこに収録されているか知らなかったのです。

 短編なのですが、一人の男が、どうしようもなく老いていく自分自身と、権威ある父親でありたいという意識との間で板ばさみになる話です。

 その理想と現実のギャップは、息子との対峙という形で現れてきます。

 奥さんは出て行ってしまい、男は息子と猫との生活なのですが、この息子の素行が悪い。で、素行が悪いなら悪いなりに父親として俺がしっかりせねば、みたいな心境になるのですが、今度はその息子がちゃんと就職して、かと思えば職を転々として、と、ついていけない(笑)軍人あがりの堅物である父親には、この息子のことが理解できないんですね。

 そんな状況がだらだらと続き、とにかく主人公はなんとなく老いていく。そんなお話です。

 デビュー作だけあって、少し文章が硬いです。色川の、後年のあのざっくばらんとしつつリズム感のある文体が、ここには萌芽として宿っている感じ。でも、変なグロテスクさやエグさがなく、突き放し、透徹した雰囲気のカラッとした雰囲気なのは「ああ、やっぱりデビュー作からそうだったんだな」と感じました。色川(阿佐田)作品は、内容は深刻でも意外に生臭さが少なくて好きなのです。

 それにしても、デビュー作からして父親が主人公だったとは。

 色川と父親の関係については、今さら僕が言うまでもありません。戦中から戦後にかけての時代を背景に、愛憎半ばのビミョーな関係で、それは色川が小説家としてデビューして精神病を患い、また父親の方が耄碌してもあまり変わらなかったようです。

 例えば『百』など、色川は事あるごとにその父親のことを作品のネタにしまくっていますが、なんとデビュー作ではその父親を主人公にしていたとは。

 僕も曲りなりに小説を書いていますが、実在の人物を主人公にして、その人に感情移入して小説を書くって、相当なものですよ。その人とよっぽどの一体感がないと書きにくい。

 今まで僕は、色川が父親のことを書くときというのは、あくまでも静的に「関係を描いている」のだと考えていました。しかしデビュー作でこれほどの一体感があったとすれば、その後の作品で描かれていたのは、実は色川が父親から「身をもぎ離そうとする」動的なプロセスだったのかも知れないな、と考えました。

 色川武大といえば麻雀だ無頼だ精神病だとよく言われますが、その父親との関係について深く考察した文章ってあまり見たことがないんですよね。誰か書いてるかしら。