2013年9月24日火曜日

◆僕とメモ術②


鐘突き堂に到着。

昨日の続きですが、今の僕はわりとメモ魔です。

今まで身につかなかったメモの習慣が、どうしていきなり身に付いてしまったのか。

それはやっぱり、「必要に迫られたから」です。

仕事で、メモをとる機会が増えたのです。

いろんな人から話を聞いて、その内容をメモしないと仕事にならない。そういう状況になったんですね。

だからメモ帳は頻繁に持ち歩くようになったし(むしろ持ち歩かないと落ち着かない)、この際だからと、仕事のことも、日々のことも、小説のネタになりそうなことも、全部1冊のメモ帳にガシガシ書き込むようにしています。

意図せずして、一時期ちょっと売れた『読書は1冊のノートに書きなさい!』(タイトルうろ覚え)のノート術みたいなものが身についてしまったのです。

ポイントは簡単で、「メモを取ることが当たり前になった・習慣になった・苦にならなくなった」のですね。

それから、そのメモの内容をいかに整理するか、という問題も、結局なんとかなりました。

整理しなくてもいいや、と(笑)

仕事で必要があってメモしたことなら、嫌でも後で読み返しますよね。

で、同じ理屈で、前にメモした小説のネタが気になったら、その時にメモ帳を読み返せばいいだけのことです。

もしかすると、一度メモして、あとは思い出さずにそのままになってしまうネタもあるかも知れません。でもそれはそれでいいでしょう。所詮それは忘れてしまう程度のネタだったのです。

むしろ大事なのは、「一冊のメモ帳に全部書いてあるから、それを開けば必ず書いてある」という安心感ですね。

この安心感が、僕にとっては肝だったようです。そうだ、全部記録して一箇所にまとめておこう。それでいいや。そう考えるようになったら、メモの習慣がついたのとあいまって、いろいろと記録するようになりました。

最近は、ツイッターの記録からも抜書きをしています。

まず、ツイログという便利なサービスがあるんですね。自分のつぶやきを、ブログ形式で記録しておいてくれるのです。そこから、過去の記録をさかのぼって、自分の思いつきやつぶやきで、目ぼしいものを拾ったりしています。ブログネタになるかも知れませんからね。

あと、一部の人は恐怖するかも知れませんが、友人知人のツイートで「お気に入り」に登録したものも、今どんどんさかのぼってメモしています。

それらのメモは、特に「整理」はしていません。ただとにかく一箇所にまとめてあります。

もっときちんと整理しないと、見つけるのが大変じゃない? と思われそうですが、確かに大変です。でもそこでかかる「手間」は、無駄にはなりません。一度メモを全部読み返すいい機会になるので、むしろそこは雑多なままでいいだろうと考えています。

例えば辞書を引くときに、目当ての単語を探している途中で、「あれっこんな言葉が載ってる!」と、発見することはありませんか。ああいう感じで、「あれっこんなことメモしてたんだ!」と後になって思い出すかも知れませんしね。

ちなみに、ほとんど手書きでメモしています。手書きのほうが、なんとなく重みがあって、あとで読み返そうという気持ちになります。

パソコンのメモ帳に記録しているのもありますが、これは「すぐに使いそうなネタ」に限っています。パソコンのメモ帳は、僕にとっては手書きに比べると重みがなくて、後で読まなくなりそうな気がするのです。だから、嫌でもすぐに読み返すであろうネタだけを記録しています。本当は、ツイッターの記録をメモするには、手書きよりもパソコンのメモ帳にコピペする方が簡単で効率もいいんですけどね。一応、そこは分けています。

さて、ここまでは、僕の個人的な体験です。

ですから、ここまで書いたやり方を、普遍的に通用するメモ術として、他人に押し付けることはできません。もしそういうハウツーを求めてこの文章を読んだ方がおられましたら、参考になる部分があれば幸いです、と言うだけです。

ただやはり、ひとつだけ言えるのは「必要は発明の母」だということです。

仕事上、メモ書きを習慣づける必要があったからこそ、やっと僕は僕なりのメモ術を手に入れることができました。

それはやっぱり、今まで「メモしなきゃ、メモしなきゃ」と少し焦っていたのと、仕事のため必要だったという切迫感がうまくマッチしたからだと思います。

切羽詰まったり、追い詰められたりしないと、こういう技法を身につけるのは難しいかも知れませんね。

かといって、こういうメモ術を模索している人は、無理に自分を追い詰めることはないと思います。

腹の底から「必要」だと思っていないことを、無理してやろうとしても続きませんからね。

切羽詰まってもいないし、追い詰められてもいないのなら、無理をする必要はないということです。そのままの状態でも道は拓ける、という無意識の確信があるのだと思います。

その無意識の確信は、あながち馬鹿にできないものです。無理をして、必要のないことに力を注ぐくらいなら、別のことに力を配分したほうがいい。そういう考え方もあるでしょう。