2013年9月1日日曜日

◆母校の学園祭に行きました。

 母校(高校)の文化祭に行ってきました。

 14年ぶりです。今まで、十代の頃の嫌な思い出がほとんどトラウマのようになっており、足を運べなかったのです。

 それが今回、心境の変化があって、行ってみました。

 当日、行くまでの気持ちは、これはもう何と言い表したらいいか分からない奇妙なものでした。行きたいし行こうと思ってるけど行きたくない。誰か懐かしい顔がいれば会いたいけど会いたくない。今日は学園祭で楽しい気分で帰ってこられるだろうか。意外となんともなかったな、という気持ちだろうか。それとも精神的ダメージをまた深く負って帰ってくることになるだろうか――。

 学校に着く直前は、動悸が激しくなって手足が震えてました。本当に。

 でも結論を言えば、特別なことは何もありませんでした。いえ、もちろん学園祭自体は活気があって非日常の世界、まさにお祭りだったのですが、僕にとっては平凡な学園祭でした。

 この場合の「平凡」は、おそらくいい意味で、です。懐かしい同級生と出くわすこともなかったし、そのかわり心の傷に塩がすり込まれるようなこともなかったのです。

 もちろん感慨はありました。

 例えば僕はこの母校を舞台にして『光速文芸部』を書きました。でももう十年以上も足を運んでいない母校を舞台にしたということは、作品内で描いたのは記憶の中だけの母校だったということです。それが今回改めて行ってみたら、「あれっ記憶が少しごっちゃになってた。イメージと少し違うぞ、実際はこんなに小さくて狭かったのか」と、懐かしさ交じりにそんなことを思いました。

「こんなに小さかったのか」というのは、総じて全般的に思ったことです。各部活動の部室が並んでいる建物も、久しぶりに見たらとても小さかった。図書室も狭かった。

 あと無料の休憩所があって、そこで飲み物を飲んでお菓子を食べてひと休みしたのですが、そこで使われていた椅子と机は、教室で生徒たちが使っているものを並べ替えただけのもの。つまり学生時代に座っていたのと同じタイプの椅子に、僕はこの日十数年ぶりに腰かけたのですが、机も椅子も想像以上に小さかった。あまりにも小さかった。

「こんなに小さい世界だったのか」と感慨を新たにしました。高校時代、僕がいたのはこんなに小さく狭い世界だったのです。

 でもそのかわりに思われるのは、その狭さと小ささに反して、いかに当時の気持ちやイメージや気概が強大だったか――無限大だったか――ということです。まったく、あの頃の「なんか今の僕ってなんでもできそうな気がする」という感覚は今思い返しても無根拠というか無軌道というか、今思えばなんでそこまで自信持てるの? という感じですね。

 だからこそ、手に入らなかったときの絶望感もただ事ではなかったのですが。

 この「世界の小ささ狭さ」に関する、当時と今のギャップを仮に空間的なものと言うなら、時間的なギャップもあります。

 実際に文化祭を切り盛りしている学生たち(もちろん教職員もかなり関わっているでしょうが)にとっては、この学園祭は1回1回が重い意味を持っていることでしょう。彼らにとって、高校時代というのは円環的ではなく、直線的かつ唯一一回的なものです。

 でも僕にとってはもう違う。この学校の文化祭は、今の僕にとっては「毎年やっているもの」です。

 僕は今回、学園祭に足を運ぶことによって、十代の学生たちの息吹きに触れました。でも、同じものに触れ続けることはできません。彼らは進級し、卒業して、いなくなっていきます。仮に僕が毎年この学園祭に足を運んだとしても、彼らにとっての「常連」にはなれません。よっぽど、学年を越えて印象深いお客になれば別でしょうけれど、彼らは過ぎ去っていく。そして僕はそれに追いつけないのです。

 僕が卒業した直後だったら、いわゆる後輩の面々がまだ学校にいたわけですからね。まだ、学校にあの生徒達の記憶にいくらかは僕も残っていて、過ぎ去っていく生徒達に「追いつける」感覚があったと思います。

 でもそこから取り残されて気付けば十数年。彼らは若く、僕は確かに老いました。今やこの学園祭は、僕にとってはただ単に毎年開催されるだけのものに過ぎません。毎年、新しい学生達がいても関係ありません。彼らはベルトコンベア式に入学し、進級し、卒業していくだけの存在です。

 まあなんですか、要するに孤独感ですね。高校時代は遠くなりにけり、そういうことです。浦島太郎の心境が、少し分かった気がしました。

 そうした時間の流れの中で、唯一時間をつなぎ止めてくれる存在が「教師」ですね。今回は2人とたまたま出くわしたので、そこはよかった。

 とりあえず文芸部で部誌を買いあさり、古本市もやっていたので、隅から隅まで目を通して、目に付いたものを購入しました。重かった……。

 あと、今後小説を書くための「参考資料」として、無作法ではあったと思いますが、校舎や敷地内の風景などを写真に撮っておきました。ちょっと怪しい人だったかも知れません。十代の少年少女がむやみに写真の中に入らないよう、かなり気を使ったところがありました。

 今回、書籍や写真など、そういう「収穫」はありました。それに、純粋に楽しいお祭りでした。ここまでくどくど書いたような孤独感にももう少し慣れたら、また来年行ってもいいなと考えています。

 それにしても、そうして学園祭から帰ってきた今になってみると、考えずにはおれません。最初に書いた通り、僕はあの当時の仲間達(裏切ってしまった人たち)に、結局のところ会いたかったのでしょうか? それとも会いたくなかったのでしょうか?

 これについてはもう隠せませんね。多分僕は「条件つきで」会いたかったのでしょう。あの頃のことを、僕が謝ることで許してくれるのなら会いたいのです。

 いざ学園祭に足を踏み入れて、「なんだ意外と普通だったな」という感慨を通り越して濾過されたことで、改めて胸の中に残った気持ちがあります。それが「条件つきでもう一度彼らに会いたい」なのです。

 あの頃、僕は気が狂うほど煩悶していました。狂気としか言いようのないものを身をもって体験したのは、後にも先にもあの時だけです。そのせいで直接的にも、間接的にも、ずいぶん友だちをなくしました。

 でも今思えばそれは、見方によってはこんなにも小さいことだったのです。小さい狭い世界でのことだったのです。

 そしてさらに言えば、もうこんなに時間が経ってしまった。僕の嫌な思い出につながるような痕跡など、もうあの学校には残っていません。僕だってベルトコンベア式に送り出されていった人間の一人なのです。

 友だちを傷つけただけではなく、あの時代そのものを傷つけてしまったのだと僕は思っていました。もうあの時代に顔向けできないと感じていたのです。でも、ひょっとすると考えすぎだったのかも知れない……そして、もし本当にそうなら、やっぱり条件つきで会いたい。今は本当にそう思います。

 僕はまだ、ずっと上の年代から見れば「きうり君はまだまだ若いよ」と言われる年齢です。でも比較で言えば、僕はやっぱり年を取ったのです。こんな感慨になってしまうのですから。

 でも悪い気分ではありません。当時あんなことがあって、十数年もトラウマになって、そしてこの年になってこういう感慨を改めて得た。それ自体は僕にとり、ひとつの気持ちいい物語です。

 たぶん、今回の体験をもとにして、小説を書くと思います。ひょっとすると『イタコ』や『光速』のように人に見せられる小説にならないかも知れない、そんな危険な予測を今から立てていますが、とにかく書くかも知れません。書きたいと思っています。