2013年8月14日水曜日

◆佐渡川準の死

 佐渡川準の作品は、網羅しているという程ではありません。でもそれなりに読んでいるし、何より『ハンザスカイ』は大好きです。この作品だけは全巻揃えて、何度も読み返しています。

だから、いつかブログでハンザスカイのことを書こうと思っていました。それがこんな形で実現するというのは残念なことです。

佐渡川準氏は、平成25年8月13日に逝去しました。ご冥福をお祈りします。

状況からして自殺だそうです。事故や殺人という線はなさそうなので、一応自殺ということで今回の記事は書き進めていきます。

自殺の兆候などまったくなかったのにある日突然、ということは珍しくありません。ですから、佐渡川の自殺についてそれ自体を不自然とは思いません。むしろ気になるのは、あれほど良作を描き続けていた人が何故、という点です。

ハンザスカイや、現在チャンピオンに連載中だった『あまねあたためる』などの作風を見ていると、佐渡川という人は自殺とは無縁に感じられます。ギャグ、ラブコメ、青春、アクション、そしてお色気と、あらゆるポジティブな要素を備えた実に健全な作風でした。

ただ、ちょうど僕は昨日、川端康成の自殺のことをいろいろ考えていたのですが、漫画家の自殺というのは文筆家の自殺に比べると「過程」が見えにくいものです。

文筆家の場合は、これは当人の胸の内がナマに近い形で言語化されているので、自死に到った内面の過程を追いやすい(川端康成の死は自殺か事故かで意見が分かれていますが、戦前から晩年にかけての作品を通して読むと、自殺しかあり得ない)。

しかし漫画家の場合は、目に見える二次元的な「結果」が全てということになって、当人の胸の内の思考やイメージや主題がその「結果」の陰に隠れてしまいがちです。実際、自殺とは縁遠いと思われる作風の漫画家が自死に至ったケースとして、例えばちばあきおの死などがあります。

では、佐渡川の場合は何があったのか。もちろんこれは後追いの解釈でしかないのですが、これは当人の「真面目さ」が仇になったのではないかと僕は想像しています。

あれだけギャグ漫画を描いている漫画家に真面目も何もあるか、という意見があるかも知れません。確かに無敵看板娘はギャグ漫画でした。でもそれは破壊的な、作家のパトスが湧き出てくるようなギャグではなく、ごく真面目にウケる要素を組み合わせて構築したものだったと思います。

佐渡川の生真面目さが全面に押し出されたのはやはりハンザスカイでしょう。冒頭部分こそラブコメ要素が少しはあったものの、空手試合が始まって以降は真面目そのものでした。爽やかで、ストレートで、珍奇さはなく、だけどドラマチック。試合の模様も実際の装備がきちんと描かれていましたし、単行本の表紙の折り返しに記された作者コメントも、素朴で素直なものでした。それを読んだ時は、「無敵看板娘の作者、こんなに真面目な人だったんだな」とかるく驚いたものです。

そして現在連載中だった『あまねあたためる』に至るわけですが、ここまで来ると、ギャグ、ファンタジー、スポ根ときて次は女の子コメディで、実に器用にいろんなジャンルを描く人だなあと感心しました。

でも今考えてみれば、それは器用貧乏だったのかも知れません。可愛い女子高生がたくさん出てきて、少しのお色気と同級生たちとのドタバタが起きるという、地味でオーソドックスなものです。個人的には『ゆるゆり』と『無敵看板娘』を足して2で割ったような印象を勝手に抱いていましたが、どこか「いかにもウケそう」な要素を詰め込んだだけの作品にしか思えないところもありました。

果たして佐渡川は本当にこの作品を描きたくて描いたのか。ひょっとすると、ハンザスカイで、自らの得意とする空手をネタにした時点でもうネタが枯渇してしまったのではないか。そういう心配も、後で思えば少しあった気がします。

また最近ではハンザスカイのキャラクターが友情出演したり、無音劇が続いたり(あまねのお母さんが制服を着る話とか、火事を消す話とか)と、キャラクターたちを動かすことに苦心している様子も見受けられました。

そして34歳という若さです。漫画家一本でやってきたことは、佐渡川にとって決して視野を広くすることには繋がらなかったであろうと想像できます。そしてこういう言い方はあれですが、中の下くらいの人気の横這い状態に、週刊連載のプレッシャーと疲労が重なれば、器用さと真面目さだけで保たれていた緊張の糸は何かのきっかけでいつ切れてもおかしくなかったのではないでしょうか。

破天荒に見えて、実は繊細で真面目で技巧的な作風だった佐渡川準。彼の魂は今どこにあるのでしょう。

例えば杉浦日向子あたりは、亡くなった時に「ああ、あの人の魂はきっと江戸時代ワールドへと旅立っていったんだな」と思えるようなものがありました。そう想像させるパッションがありました。だけど器用に色々な世界を描いていた漫画家や、不幸にして自殺に追い込まれた漫画家というのはそれが想像しにくい。ちばあきおの魂は墨谷高校の野球部に向かって旅立てたのでしょうか。たくさんの世界を描いていた手塚治虫の魂は、最終的にはどこの世界に落ち着いたのでしょう。

そして佐渡川準の魂に行き先はあるのでしょうか。彼が本当に愛した世界のイメージは、花見町商店街だったのか、蓮城高校だったのか、それともパニッシャーのあの世界だったのか。佐渡川のはそれが見えない、不幸で悲しい死です。そのような意味でも、心からのご冥福を願いたい。