2013年6月8日土曜日

◆僕の人生の今の地点


 宝栄牧場。

 知る人ぞ知る通り、僕は結婚生活・家族生活を破綻させて今は一人暮らしです。

 30代になって、人生3度目の一人暮らし。そして今のこの環境は、実に快適で居心地がいいです。

 そんな経緯があるため、もう僕は、自分以外の他人と一緒に生活するのは無理かもしれないなーと想像しています。

 自分以外の他人と生活する、といえば、まあ一番多いパターンとしては「気の合う異性と一緒に」ということになるのでしょうが、知る人ぞ知る通り、妻とはもう無理。では新しい相手探しか、ということになると、少し前にも当ブログでほのめかしましたが、独身時代から憧れていた相手からたまたまフラれる機会があって、もう正直やる気なくしてます。

 女性と生活を共にして幸せにしてあげるなんて無理無理、と普通に思いますね。たぶんそういうことに関して僕は能無しです。しかも、たまに気が合う女性がいたと思えば、どこか病的で壊れ気味の方や、本当にいわゆるメンヘラの方ばかりなので、自分のアンテナの示す方向に従って女の子さがそう、という気持ちもあまりないし。

 事実として、今は一人暮らしのアパートで、工夫しながら生活して、仕事との合間を縫うようにして小説を書いたり本を読んだりする日々。

 これは冗談ではなく、半ば真面目に、「今の僕の妻は書物で、子供は小説です」とあちこちで発言しています。僕と書物との出会いが作品を生み、その作品を育てて、外に送り出して……を繰り返していると、本当にそんな気分になってきます。

 気の合う他人と一緒に生活して、最後にはどちらかが最期を看取る。このこと自体は掛け値なしに素晴らしいことだと思うのですが、それに伴う生活上のわずらわしさや、人間関係の面倒臭さに果たしてこれから僕が耐えていけるのかどうかと考えると、甚だ自信がありません。

 とはいえその気分は、世間の慣わしやしきたりから「排除」された形として存在している、という感覚がなくもない。

 いま僕は、仕事で多くの人と一期一会を繰り返す立場にあります。そういう人たちは大抵きちんと家族がいて、家族に囲まれているじいちゃんばあちゃんや、あどけない顔をしている赤ちゃんなどを眺めていると「ああ羨ましいな、素晴らしいな」と思います。これはもう本当に、繰り返しますが掛け値なしに素晴らしいことだと思う。

 たぶんそれが、大多数の人が通過する、わりと当たり前の形態なのでしょう。僕はそういう形態からはみ出して、好悪をないまぜにしながら外から眺めている異邦人です。

 正直に言えばそれが完全な劣等感になっているかというとそうでもなく、まー小説を書く人間にある意味ふさわしいかも知れないなと考えてみたり。

 こんな僕のあり方を、例えば「普通には生きられない人」などという言い方で表現してみると、なんだかバタイユや色川武大にちょっぴり近くなったような気がしたり、とかね。本気で気取るつもりはないけれど、まあ無頼気取りです。聞き流して下さい。

 そんな中(このフレーズも会社での文書作りで書き飽きたな……)、最近よく思うのは、お酒を飲んでテンションをあげて、ひとりカラオケで情緒たっぷりになんか歌ってみたいな、ということです。

 こういう状況になったからこそかも知れません。人間関係における情緒というものが、なんだか最近やたらと価値あるもののように思えて仕方ないのです。

 で、あと最近は外でほとんど飲酒しておらず健康なのですが、アルコールを入れないと素でひとカラって無理だな~とも感じるので(笑)