2013年6月29日土曜日

◆自然主義の欺瞞


宝栄牧場の写真、まだありました。

自然とは何か、というテーマで考察しようとすると、だいたい日本語と英語の単語を並べて字義からニュアンスを解釈してそれを比較して……みたいなのが通例ですね。

それはちょっと横においていて、自然とは何でしょうか。

これはもう、わざと乱暴な言い方をしますが、「そのままで人間にとって都合のいい状態」と定義していいんじゃないかと思います。

自然物や自然なこと、あとナチュラルな物事というのは肯定的に評価されがちです。

でも、いくら「ありのまま」がいいと言ったって風呂にも入らず髪とヒゲが伸び放題なのをよしとはしないでしょうし、草ボーボーの休耕田はちっとも美しくありません。

人工的なものの方が、美しいんですよ。

もちろん、人間が手を加えなくても美しいものや、よいものはたくさんありますけどね。

例えばパンダはあのメイクといいあの仕草といい「ありのまま」で大変よろしいと思いますが、それも人間にとって善いものだからいいのであって。

見た目や姿形が醜いとか、そのままだと役に立たないからと、人工的に改造された動物もいくらでもいますしね。

つまり、ありのままの自然が先にあるんじゃなくて、人間の評価が先にあります。

もちろん人間が評価する以前の、前人未到のジャングルの奥地みたいな場所にも、ありのままの自然の姿は存在します。そこには自然界の調和があり、バランスがあり、秩序があり、僕らはそれを素晴らしいとか美しいとか感じたりしますね。

でもそれは、世界が違います。むしろ、人間は人間にとって役に立つものを、いい意味で秩序がある自然の状態と認識するようにできているからこそ、人間が認識する以前の秩序ある自然を「すげえ」と思うのでしょう。

認識して、価値判断を行って、その上で「これはそのまま放っておいてもいい」と感じられたものを、僕らは善き自然、と感じるのです。

人間の場合、この最初の認識とか価値判断がなされる過程で、「技術」も入り込んできます。人間は自然を技術で改造し、その結果「あとは放っておいてもいい」と判断されたものが自然なものとして肯定的に見なされることもあります。

この技術というのは、何も庭木を刈ったり動物を改造したりする物理的な技術ばかりではありません。動物や樹木に権利を与えて保護しようとするなんてのも、ひとつの技術です。

ひとくくりにして、人間が自然を「よい自然」として認識するのはひとつのテクニックだと言ってもよさそうですね。

厄介なのは、そういうテクニックが最初にあることを忘れて、動物の権利をそのまんま丸ごと「よい自然」として保護しようとすることです。

特定の動物をやたらと保護しようとする人は、人間というのがそもそも存在しているだけで何かを改造し、何かを保護し、何かを排除して生きているということを忘れている。てゆうか目をそむけている。

僕らはジャングルの奥地の大自然そのままのあり方を「素晴らしい」とは感じるかも知れませんが、そこに住むのは大抵の人が嫌がるでしょう。危険ですからね。人間が自然を改造する理由は、たぶんそこにあります。自然は暴力的なんです。

だから自然に対して加えられる人間の技術も、暴力です。力をもって力を制したものが、実は僕らがふだん善しとする自然なんですね。

一部の動物保護団体がどうしてあんなに暴力的で陰湿なのか、その理由はこのへんの観点から整理できると思います。彼らは人間のテクニカルな暴力行為を、自然にナチュラルに備わっている暴力と重ね合わせてしまっているんでしょう。

最初にこっちから技術的なものを与えてやっていることを忘れて、自分たちが暴力を振るう権利を自然の側から与えられていると思っている。

この場合、与えているのは神様ということになるのでしょう。自然権が、神様から与えられたものと考えられたのと同じです。

ひと頃、動物にも樹木にもなんでもかんでも権利を与えようという傾向があったようです。それはまあ乱開発とかを防ぐためだったのかも知れませんが、人間が勝手に開発して荒らすのも、勝手に権利を与えて保護だなんだと叫ぶのも、根本的には自分勝手。人間中心です。

そのへんの傾向は最近はだいぶ落ち着いてきました。僕が最近のエコだとかリサイクルだとかの話がわりと好きなのは、人間中心なら人間中心でうまく回していこう、という雰囲気があるからです。人間が居丈高に「自然を守ってやろうじゃないか」と振舞うのではなく、いくらか分を弁えている感じ。

なんでこんなことをつらつら考えたかというと、先に休耕田という単語をちらっと出しましたが、農業保護政策ってどこからどこまでが正当でどこからどこまでが欺瞞なんだろう、なんて考えたからです。

農村の美しい自然を守ろう、なんて言い方をすると、いかにも反論の余地がないように思われます。でもここまで書いたことから明らかな通り、ぜんぶ人間に都合がいいから「守るべき」なだけであって、具体的な問題は常に生活とかカネとか経済なんですよ。

そういう具体的かつ人間的な問題を、「美しい自然を守ろう」という言葉で飾り立てるのは、一部の動物保護団体が、自然保護というスローガンを盾にとってエゴを正当化するのと根本的には同じです。

まああんまり根本根本言っても仕方ないのですが(表面的な問題だって大事)、とにかくこういう「自然」という言葉や観念を利用した言説には惑わされないようにしたいものです。「美しい自然がうんたら」という言説を見かけたら、「ああこれは特定の人の利害の話なんだな」と考えてもいいかも。あるいは何も考えずに、自然だからいい、と考えているだけとか。