2013年4月26日金曜日

◆小説『手紙』

 友人から手紙をもらった。

インターネットの掲示板の交流から始まり、もう10年のつき合いになる仲間である。

その掲示板のメンバー同士のつながりは今も保たれており、最近仲間内で「本の回し読みをやろう」ということになった。それで僕に本が回ってきたさい、先に読んだ女の子が手紙を入れてくれていたのだ。

僕がいつも近況を書いているブログやSNSも、いつも読んでくれている。そんな彼女からは、僕は生活上いろいろ苦労しているように見えるようだ。

まあ実際、社会人の一人暮らしともなれば色々と面倒なこともあるし、最近は仕事もちょっと忙しい。そういうことを僕はネットの世界で書き散らしている。

それでも僕は、一人の生活も今の仕事も、大きな不満もなくこなしている。手紙の差出人の女の子は、「でも貴方なら忙しくてもソツなくこなしているのではないか」という趣旨のことを書いてくれていたが、これはちょっぴり面映ゆい。いま気楽にやれているのは、僕の実力や才覚よりも、運の良さによるところが大きいと思う。

その差出人の娘は、近頃転職したばかりだ。初めて掲示板で知り合った頃はまだ女子高生だったし、童顔のイメージが焼き付けられているので(前にオフ会で何度か会った)、いまだに彼女が社会人としてしっかり働いている姿は想像しにくいところがある。永遠の少女といった印象だ。

メールを使えばすぐ伝えられるところを、一筆したためてくれたのは素直にうれしかった。俵万智だったかが、手紙のうれしさというのは、差出人がそれを書くのに時間を割いてくれたことに対するうれしさだ――というような趣旨のことを書いていたと思う。十代の頃はぴんと来なかったが、社会人になって時間に追い立てられ、人生の残り時間を漠然と思い浮かべることも多くなった三十代の今なら分かる。手書きの手紙はうれしい。それが突然のものならなおさらだ。

そして僕はどうしても考えてしまうのだった。少し前に――おそらくお互いに不本意に――「ある形」でさよならをせざるを得なくなったあの女性も、どこかの時点でそのように感じてくれていただろか、と。



妻とは別居している。

詳しい事情はさておく。いろいろあったのだ。

少なくともこれだけは言える。妻との間に決定的な決裂や争いがあったわけではなく、これはいわば戦略的な、必要に迫られての別居であると。

それでも僕は(おそらく妻も)ときどき考える。この別居状態がいつまで続くのだろう、そもそもこの状態のままで続けられるものなのだろうか、これは適切なあり方なのだろうか、等々。

思慮深いわけじゃない。自分たちで考えて話し合って決めた別居という方策に、いまいち自信が持てていないだけだ。とりあえず僕に関していえば、まあ要するに「ぶれていた」のである。

別居は独特の感慨をもたらした。一人暮らしの中に身を置いてみると、寂しさと同時に奇妙な解放感が、僕の中で湧いた。

ある女性と急に身近な関係になったのは、そんな中でのことだった。

もう十数年も通っている書店の店員さんである。

丸顔にボブカットの髪。出で立ちは地味で、いつもエプロンをつけてぱたぱたと店内を走り回っている。そんな女性だ。

彼女がレジに立つようになって、もう6~7年も経つだろうか。最初は化粧っ気もなかったが、書店のレジに立つようになって間もなく、なんとなく気付く程度に白粉と紅を使うようになったのを覚えている。以降はそれが彼女のスタイルとして定着し、あとは髪を染めるでもなく、化粧が濃くなるでもなく、地味な書店の地味な店員さんとしての地位を守り続けている。

正直に言えば、独身の頃から、僕はずっと気になっていた。

だが、職業人として勤務している店員さんに、プライベートな気持ちを露わにして接近するのは至難の業だ。まして行きつけの店ならなおさらで、嫌われてしまったらたまらない。もう店に行けないばかりか、彼女は辞めてしまうかも知れない。ゆえに、その人に対する気持ちは、僕の中ではずっとほったらかしになっていた。

細かな経緯はとばそう。妻と別居して間もなく、あるタイミングで、その店員さんと言葉を交わす機会があったのだ。

それは一度だけではなかった。二度目、三度目と小さな機会が積み重なり、僕らは急に親しくなっていった。

これは小説である。主人公に対する責めや非難はとりあえず抑えて頂きたい。とにかく事実として、僕は彼女と連絡先の交換を行った。下心ゆえというよりも、話の流れと勢いという感じだった。

それでも僕らの関係は大人しいものだった。書店で出くわせば会釈程度の挨拶を交わし、店の外ではメールでのやり取りをするという、まことに地味な関係だった。

彼女も、以前から、店の定連である僕に好意を持っていたそうだ。アドレス交換を提案してくれた時は、とても嬉しかったという。そしてメールのやり取りで少し慣れてきたらいずれ外でお会いしましょう、という話にもなった。

彼女のメールは、一日一通のペースだった。それについては、つくづく地味な人だなと思っただけだった。

僕の一番の気がかりについては言うまでもない。既婚であることを言い出せず、どの段階で打ち明けるべきか、その後の身の振り方をどうするか、そのことで悩んだ。それはもう悩んだ。

だがこの関係は呆気なく終わった。アドレスを交換してから2週間目のある日、彼女がメールで打ち明けてきたのである。

彼女は男性恐怖症だった。

昔からの気質らしい。ただ僕に対する気持ちというのは全て本当で、だからこそ恐怖心を抑えてでもメールをしたかったし、そのために工夫と努力を重ねて、なんとか一日一通のやり取りはできていたのだ。

だがそれももう限界だという。次第に、僕からメールが届くのが怖くてたまらなくなり、夜も眠れなくなった。このままでは、書店で出くわしても今までのような対応はできない。このメールを送信したらアドレスも変えるので、私とのやり取りのことは忘れてほしい――とのことだった。

僕は心の中で了承した。最後のメールをもらったその日、いつものように書店に行き、レジにいた彼女に「これください」とてきとうに選んだ文庫本を渡して精算し、あとは目を見ずに「どうも」そう言って店を出た。わかってくれたと思う。

これが僕にとっての区切りだった。夜も眠れないというのは本当のことらしく、レジ越しに見た彼女の顔と髪には、睡眠不足の痕跡がはっきり見てとれた。

駐車場の車に乗りながら、これでよかった、本当にこれでよかったと心から思った。たまらない寂しさと安堵感のアンバランスさといったらなかったが、アンバランスというのもひとつの均衡だろう。どうやら幸いにして、僕の中には分別という支点のひとかけらくらいは残っていたようだ。

彼女は今もその書店にいる。元気そうで、4月には辞めてしまわないかという危惧も杞憂だった。桜の咲く頃には彼女は髪を切って、後ろで短く束ねていた。露わになった耳が眩しかった。

その彼女とやり取りしたメールは、実はまだ携帯の中に保存してある。読み返すことはないが、気の済むまで取っておくつもりだ。

手紙を書いてくれることの重み、書くことに時間を費やしてくれることの重みが、彼女からのメール一通一通には確かに込められていたのである。

ならば僕はどうだったのだろう。彼女にとって恐怖の対象になってしまった僕のメールは、最初のほんの少しの時点でも、そういう重みのあるものとして感じてくれていただろうか。

あるいは、その重みこそが彼女を苦しめたのかも知れない。本当にそうなら決して嬉しくはないが、やはり僕は繰り返しこう言おうと思う。これでよかった、本当にこれでよかったと。

きっともうしばらくは、こんなふうに、彼女とメールをし続けた2週間のことを何度も思い出したりするのだろう。本当によかったと言いながら僕はしっかり引きずっている。あろうことか、それもまた幸せであるなどと言おうとしているのだから、勝手なものだ。

(おしまい)