2013年4月14日日曜日

◆邦楽ポップスと洋楽との関係



 ちょっと机の上が汚いけど、これもある日の夕食。味噌汁、ご飯に豚肉の炒めたのを乗せたもの、サラダ。

 洋楽を聴いていて最近よく思うのは、「邦楽ポップスの歴史は意外と短い」ということです。

 つまり、戦後の日本人が聴いてきたポップスというのは、邦楽よりも洋楽のほうが割合として大きいのではないか。そう思うのです。

 今三十代の僕や、それ以下の年代となると、邦楽ポップスを聴いて育った人の方が多いでしょうけどね。

 自分も含めて、こういう人たちにとっては、邦楽ポップスというのは最初から「あって当たり前」のものであることでしょう。洋楽というのは、ミュージックステーションでも一番最後のオマケに取り上げられるジャンルという程度の認識しかないだろうと想像しております。

 では実際にはどうなのか。日本での洋楽受容の歴史を軽く見てみると、邦楽ポップスはついこの間、それも90年代くらいまではその影響が尾を引いていたように思われます。

 証拠というほどではありませんが、コニー・フランシスが日本語で歌を歌っていたり、洋楽のメロディに平気で日本語の歌詞をのっけたものが本邦では歌われていたり、歌の冒頭部分に「知る人ぞ知る」程度の洋楽のイントロ部分が使われて仲間内でクスクス笑い合うような要素になっていたりと、こういうやり方は大まかにみても70~90年代くらいまではごく当たり前になされていたようです。

 僕がすぐ思いつく範囲でも、槇原敬之や小沢健二(とか渋谷系全般)などは、ほとんど「なんのてらいもなく」と言っていいほど軽い感じで、洋楽のメロディを自分の楽曲の中に引っぱりこんでいましたからね。彼らは年代的にイコールではありませんが、そういうやり方に不自然さを感じない世代なのかも知れません。

 そうしたやり方は、今なら「パクリ」としてネット上で叩かれるようなものです。恐らく著作権の考え方が浸透してきたことで、こうした洋楽メロディのイタズラ的な一部拝借という習慣は2000年代以降廃れてきたのではないでしょうか(年代の区分は、すごく適当です)。

 ですから、戦後の邦楽ポップスは、少なくとも僕以下の年代が思っている以上にずっと、洋楽の影響をべったりとへばりつかせた状態で成長してきたのではないかと感じるわけです。

 もちろん、洋楽の影響を(少なくとも外見上はっきりとは)受けずに発展してきた部分もあったことでしょう。それはそれとして、別箇の歴史としてあると思いますが。

 ただとにかく、著作権の考え方が強くなってきたため、好きな洋楽とはいえ他人の作品をイタズラ半分に一部拝借することもままならなくなっているのが現代の邦楽ポップスです。

 もちろん、それら邦楽ポップスがまったく洋楽の影響を受けていないわけはないでしょうし、また外見上はそうした影響をあまり受けていないように思われる、いわば純粋培養の邦楽ポップスにもいいものはたくさんあります。

 とはいえこうやって大まかなイメージで戦後のポップスの歴史を考えてみると、これからはますます純粋培養の邦楽ポップスの真価が問われていくのかも知れないな、と考えられるのです。

 歴史がある以上、まったく純粋培養の、洋楽の影響を一切受けていない邦楽ポップスはほとんどありえません。でも若いミュージシャンの中には、きっとそういう歴史の認識もあまりなく、邦楽ポップスだけを聴いてきたという人もいるでしょうしね。

 つまりは僕みたいに、後になってから洋楽の昔のヒット曲をいろいろ聴いていて「なんだ、あの邦楽ポップスの元ネタはこの曲だったのか!」と驚くような人です。

 たぶん今後はそういう人もどんどん増えていくと思うんですよ。

 邦楽ポップスの歴史は、まだ始まったばかりだ!