2012年8月6日月曜日

◆説教強盗と悪のロマンについて

今読んでいる浅田次郎の『天切り松 闇がたり』シリーズという本がありますが、それに「説教強盗」というのが出てきます。

世にいわゆる説教強盗というのは、大正時代にあった実際の事件で、包丁を持ってお金を脅し取りつつも「戸締りはしっかりしなさい」「犬を飼うといい」などと親切なお説教をして退散していくというおかしな強盗が活躍(?)したというケースがあったんですよ。

僕はこの実際のケースを学生時代に調べて知っていましたが、『闇がたり』に登場するのはもうちょっと凶悪です。私腹を肥やす資本家や大臣などの枕元で出刃包丁をどんと突き立て、お金持ちの御仁に「やいやい、大人しく聞きゃあがれ」みたいな感じで説教を垂れてお金を出させるというやり方なんですね。

まあそういう、若干凶悪な「説教強盗」も実際にいたのかどうかは分かりません。ただいずれにせよ、こういうふたつの説教強盗のイメージが「日本の怪盗」として、ちょっと面白い感じがするのも確かです。

それに関して父とこの間、話していたのですが、父は言いました「昔、学校で法律の先生が説教強盗の話をしたことがあった。でも先生はあれは悪だと断じてたっけな」と。

そのことについては、いかにも「その法律の先生はものの価値を分かっていない」と言いたげでしたが、まあでも学者や研究者の方というのは普通そうでしょうね。情報を整理し、分類し、価値のあるものとないものを判別するのが仕事ですから。

説教強盗のように「悪党だけど憎めない」とか、あるいは「犯罪だけど味がある」というような、普通の道徳的価値からちょっとかけ離れた例というのはいろいろありますね。例えば博打打ちの世界のロマンだとか、スリの職人芸だとか、義賊とか、結果的に「誰も被害をこうむらなかった」などともいわれる三億円事件の鮮やかな手口とか――。

そういうものの絶妙な価値や味わいというものは、なんだかんだ言っても整理と分類と分析を仕事をする学者や研究者の世界では把握し切れないものだと思います。よしんば把握したとしても、やっぱりそれは綺麗に分類され整理された形で示されるだけで、情緒たっぷりに描き出すということはできますまい。

それは単に、学者や研究者の方が揃いも揃って野暮天だなどという意味ではありません。職業的役割の話です。

では、先述したような「悪のロマン」は一体どういう世界で描き出されるのかというと、これはやっぱり芸術の世界でしかありえないでしょうね。善悪を超越することを許された、ロマンと情緒の世界です。

ですからやはり、説教強盗が『闇がたり』シリーズという小説で描かれ、また戦後の無法地帯の博打打ちの世界が『麻雀放浪記』という小説で結実したのもゆえなきことではないのでしょう。文芸という芸術の世界で、それらの悪のロマンは見事に描き出されたのです。