2012年8月30日木曜日

◆『シャトゥーン』感想補足

 この間『シャトゥーン』の感想を書きましたが、その後ふと思いついたことがありました。以下は、加筆する内容の文章です。

飢えた手負いのヒグマと人間たちが戦うという、凄惨この上もないストーリーの小説。読んでいると確かに迫力はあるし、人間ドラマもそれなりにあるし、ひたすらコワいし読んでいると続きが気になって仕方ありません。でもなぜかこの作品に対しては「物足りない」という感覚がありました。

この「物足りなさ」は一体なにに由来するのでしょう。

それは、「ロマンが足りない」という点に尽きると思います。

動物と人間が戦うというと、一種のロマンがあると思うんですよ。

たとえばヘミングウェイの描く闘牛。緊張と高揚と恍惚が一体となったあの境地。

あるいは三毛別羆事件で、あの最大最強の羆を仕留めた猟師。たった一人、村の中でも鼻つまみ者だった一人の漁師が、猟銃を片手に一対一で羆と向き合う。

また『アラバマ物語』でもありましたね。狂犬病の犬を、銃で冷静に、冷静に狙って、一発で仕留めるあのシーン。

それに『邪眼は月輪に飛ぶ』でもいいですね。盲目のマタギが、梟の姿をした怪物と向き合って射殺に至る、あの場面。

こういった、人間と動物の対決シーンには、対話があります。ふだん動物と人間は言葉が通じることはありませんが「殺す」ために向き合うという次元でのみ、通じるものがどうやらあるらしい。

さらにそこには、数々の動物と人間の物語が示してきたように、「殺す」という目的とまるきり並行して、人間から動物に対する友情、親近感、孤独の分かち合いが生じることもあります。

ロマンと呼ぶにはあまりに壮絶で凄惨ではありますが、物語の伝統として、そういうのはあると思います。

『シャトゥーン』には、そういうロマンがない。なぜならそこで描かれている「戦い」は……、

※ここから先ネタバレ注意

追い詰められた母親が、娘を守るために、重機をブン回してヒグマをボコボコにし、そしてが崖から落として終わり、なんですもの。

別にそういうラストが悪いとはいいませんが、「野生動物と人間の戦い」にまつわるロマンが、どうにも欠けているんですよね。

で、これは蛇足ですが、キングの『クージョ』はどうだったかというと、これもここまで書いてきたような意味での「ロマン」は確かにありません。

でも、特別にかばうわけじゃないけど、『クージョ』はそういうロマンとはちょっと違うところにある作品だからいいのです。あれは野生動物とのロマンあふれる戦いというよりも、人間同士、あるいは動物と人間との、「愛のなれの果て」を描いた作品だと思うんです。もとは愛があったはずの場所で、理不尽に不条理に、朽ち果ててゆく生物たちの愛ですね。

一体なにを言っているんだと言われそうですが、読めば分かります。僕は『クージョ』は最後の一文でちょっと泣きました。