2012年7月24日火曜日

◆オスプレイは本当に危険なのか

オスプレイ問題で連日騒がれていますが、実際のところ、オスプレイってどのくらい危険なんでしょうね。

 事故災害マニアの僕としては、きちんと件数を数えて事例の内容を確認して、分かる範囲で結論を出してみたいところです。でも今はちょっと時間がないのでパス。

 ただ、僕は常々「問題の本質」よりも「その問題が問題となっている状況」のほうに興味が湧くほうです。

 有り体にいえば、「騒いでいる人たちの心境のほうが気になる」のです。

 で、そういう人たちの心境に思いを馳せて見ると、大抵は歪んでいたり、偏っていたり、思い込みが激しかったり、恨みがこもっていたり、感情論だったり、おためごかしだったり、綺麗事だったりすることが多いんですね。

 生半可に正確な数値を出すよりも、狂気に近い感情論のほうがマスコミ受けがいいのでしょう。

 オスプレイ問題もそういうところがある、と僕は見ています。

「事故の起きる確率がゼロであることが確認できるまで飛ばしてはならん」と今のところ言われていますが、正直なところ、それって半ば狂気の沙汰ですよ。事故の起きる確率をゼロにするなんて、神様にしかできないでしょう。

 それでは多くの人が利用している乗用車はどうなるのでしょう。鉄道は。飛行機は。発電所は。これらも事故発生率はゼロじゃないのに、オスプレイ反対の人たちはなんで「それも動かしてはならん」と言わないのか(もっともオスプレイ反対派と原発反対派の中にはかぶっている人もいそうですが)。

 反対というなら僕も、オスプレイのみならず発電所も鉄道も乗用車も、みんな反対ですけどね。特に乗用車。あんなに危険で事故が起こりやすい乗り物を野放しにしておくなんていけないことです。車は、本来は走ってはいけないものなのです。

 ただ、そんな僕の感情と、世間での利便性を天秤にかけると、明らかに後者の方が大きいのです。だから乗用車は許されるのです。いわば「必要悪」ではあるけれど、それは絶対的な必要悪なんですよね。

 どうもオスプレイ反対派の人たちは、「必要悪」に対して過敏になりすぎているのではないか。少しのズレや一点のシミも許せない心の狭さがあるのではないか。あるいは単純にアメリカ嫌いだから坊主憎けりゃオスプレイまで、という心境なのか、はたまたそういう反対運動が好きなだけなのか(笑)。