2012年7月20日金曜日

◆萌えと腐女子とオリジナリティの真実

※写真は本文とは関係ありません。

僕はずっとこう考えていました。

「いわゆる萌えや腐女子の文化にはオリジナリティがない。しかもその価値はいよいよ経済価値で計られるようになり産業化されつつある。企画され繰り返しコピーされる萌えと腐女子文化には同一性の暴力が働いている!」

と。

でも最近、ある人から言われてちょっと気付いたことがあります。

萌えや腐女子文化を支えているものは別にオリジナリティを指向する芸術魂ではないんですよね。むしろそこで重要な位置を占めているのは「仲間意識」なのだと思います。

自分が好きなものを、同じように好きだという連中がいる。んで、その「好き」という気持ちを表現し合っている。この仲間意識ってとても貴重なものですよね。インターネットが普及する以前は、同好の仲間というのは意外と探すのが難しいものでした。でも今この時代にそれがこれだけ簡単になったのは、めでたいことなのですね。

「同人誌」「同好会」「愛好会」なんていうくらいですから、考えてみればすぐに分かることだったのです。大事なのは仲間意識だったのです。

そしてさらに突っ込んで考えてみれば、オリジナルの作品を作っている人だって、ある意味で「仲間意識」を求めているといえます。

明確に「○○というキャラクターが好き!」という意識ではありませんが、作品を書いている時、その作者は読者からそれを認められたい、共感されたいと思っているはずですからね。

考えれば考えるほど、作品のオリジナリティというのは雲散霧消していくなあ。作品の価値はオリジナリティにあるのではなく、より多くの人が共感できるという点にあるのですね。

心当たりはあります。創作活動で気持ちがノリにノッてくる時というのがあると思いますが、その中のひとつに「好きな作家になり切っている時」というのがありますね。

たとえば僕は島田荘司の作品が好きなわけですが、氏の作品を読み終えた後で自分の文章を書くと、文体が島田風になっている(笑)そういうことって、よくあります。

そんな時、僕は「読む」だけではなく「書く」次元からも、島田荘司の文章に共感しているといえます。

意外と、作家のオリジナリティの真実ってそういうところにあるのかも知れません。